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パラオにペリリュー島と言う島があります。
パラオ諸島の中の小さな島で、全体で20平方キロの珊瑚礁からできた太平洋上の小島です。
この島で、大東亜戦争の末期に日米により73日間にもわたる死闘が繰り返されました。
日本軍が劣勢にある中、日本軍はフィリピンを防衛するためにこの島に東洋最大といわれる飛行場を建設していました。ペリリュー島は日本にとってフィリピン防衛の防波堤の一つでした。
1944年、米陸軍を指揮するマッカーサーにとってフィリピンを攻略するために、この島を攻略しなければ有利に進めることはできませんでした。
そこで太平洋艦隊を指揮するニミッツ提督はマッカーサーの作戦を助けるために第一海兵師団にペリリュー島の占領を命令、勇名で名高いハルゼー大将指揮の第三艦隊約800隻の艦艇が海兵隊支援のために差し向けられました。
日本軍はこのとき約1万2000人、米軍はその兵力の4倍、航空機200倍以上、戦車10倍、重火砲100倍の軍備力でした。すでに制海権・制空権を手にしている米軍は攻撃は2〜3日で終了と楽観的な予測をしていました。
9月12日に米軍は艦砲射撃と高性能焼夷弾の集中砲火を浴びせ、9月15日に海兵隊を主力とする約28000名が上陸しましたが日本軍はこれを持久戦に持ち込み、実に73日間にわたってペリリュー島を守りました。
しかし、戦闘が終局に達した11月24日には生き残った日本将兵はわずか60人弱、ついに司令部陣地の兵力弾薬もほとんど底をついたため司令部は「玉砕」を決定しました。
中川州男大佐と村井権治郎少将、飯田義栄中佐の割腹自決の後、玉砕を伝える「サクラサクラ」の電文が送られ、翌朝にかけて根本甲子郎大尉を中心とした55名の残存兵による万歳突撃が行われました。
「サクラサクラ」この六文字の電文…以前のブログの投稿をみればわかりますよね、
そうペリリュー守備隊全員、桜のごとく散った、という意味です。
しかし壮絶な戦闘があったにも関わらず、ペリリュー島の民間人には、ほとんど犠牲者がでなかったといわれています。
日本軍としては、島民を戦渦に巻き込んではならないとの配慮から、島民をパラオ本島へ避難させていたからです。
遠い南の島に、日本の歌を歌う老人がいた。
「あそこでみんな死んでいったんだ・・・」
沖に浮かぶ島を指差しながら、老人はつぶやいた。
太平洋戦争のとき、その島には日本軍が進駐し陣地が作られた。
老人は村の若者達と共にその作業に参加した。
日本兵とは仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたという。
やがて戦況は日本に不利となり、 いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。
仲間達と話し合った彼は代表数人と共に 日本の守備隊長のもとを訪れた。
「自分達も一緒に戦わせて欲しい」と。
それを聞くなり隊長は激高し叫んだという
「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」
日本人は仲間だと思っていたのに…みせかけだったのか。
裏切られた想いで、みな悔し涙を流した…
船に乗って島を去る日 日本兵は誰一人見送りに来ない。
村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。
しかし、船が島を離れた瞬間に日本兵全員が浜に走り出てきた。
そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。
先頭には笑顔で手を振るあの隊長が。
その瞬間、彼は悟ったという。
あの言葉は、自分達を救うためのものだったのだと・・・。
戦闘が終わったペリリュー島へ戻った住民たちは、恐るべき光景を目の当たりにしました
米軍の激しい爆撃により、その形を変えていた珊瑚の島、
そこに転がるおびただしい数の日本兵の遺体。
島の人々はこれを見て涙を流したといいます
アメリカ兵は味方の遺体しか収容しません。
島民はこぞって日本軍の遺体を弔い、墓地を作りました。
そして日本人が、いつ訪れても良い様にと、その後も墓地の清掃に心掛けてくれました。
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その後50年以上、アメリカの統治をうけました。
しかし現在でもパラオの親日感情はつよく、年配の方は日本統治時代を懐かしんでくれるそうです。
「日本は何千年来の伝統を持ち、独自の文化を創りあげてきた。
その結晶が天皇と教育勅語だ」
と熱く語り、日本人を驚かせるとか。
戦後の日本人がどこかに忘れてきた物を、
パラオの人や台湾の人などは、まだ大事にしてくれているのかもしれません。
1994年に独立したパラオの国旗、知っていますか?
我々の先人は誇り高きアジアの守り神だったのです。
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